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2018年6月5日

<東電福島原発事故刑事訴訟中間報告>東電の津波対策担当社員と管理職の尋問が終了

2018年5月2日

<東電福島原発事故刑事訴訟中間報告>

東電の津波対策担当社員と管理職の尋問が終了

津波対策は不可避であった

                              海渡 雄一

(福島原発告訴団弁護団)

内容

第1 指定弁護士(検察側)冒頭陳述....................1

第2 第2回公判 東電広報上津原勉証人は防潮堤の工事は可能であったと証言.

第3 第4回公判 技術者の良心と気概を示した東電設計の久保賀也証人の証言.7

第4 第5-7回公判 土木調査グループで津波対策を進めようとした高尾誠課長. 9

第5 8・9回公判 土木調査グループGM(部長)酒井俊朗氏の証言のポイント. 14

 

第1 第2回公判 東電社内事故調責任者・広報担当の上津原勉証人は防潮堤の工事は可能であったと証言

 2017年6月30日の第1回公判では、起訴状の朗読、罪状認否、冒頭陳述、検察、弁護双方の書証が取り調べられました。この経過については、福島刑事訴訟支援団のホームページに詳しい報告が掲載されています。

 2018年1月26日には第2回公判が開かれました。裁判所は、期日間打合せについて、新たに300点の書証、1点の証拠物、証人20人を採用することを決めました。期日としては、6月15日の第17回期日までを指定しました。裁判長は、おおむね秋ころにかけ、20数人の証人尋問と被告人質問を行う予定であると述べました。刑事裁判は早ければ年内に結審する見通しとなっています。

 この日取調べられたのは、上津原氏で、東電社内事故調のとりまとめの責任者です。上津原氏は、10メートル防潮壁を築くことは可能であると証言しました。重要なやりとりは以下のとおりです。

(1F津波対策として、防潮壁の工事は地下の循環系配管と干渉して難しいという話をされたが、東電の社内事故調の報告書にある4つの対策をとることは難しかったということか?)

 実際に防潮壁を作るとなると、1Fにつくるのはかなり難しい仕事だったと思う。

(報告書は対策工事していれば防げたとしている。実際には難しいということか?)

 難しいというのは、不可能かどうかというとそうではない。可能ではあるが、大がかりになるということだ。

(10m盤に10メートルの壁をつくることは)

 不可能ではない。干渉する建物、設備を移築するなど、大がかりになるということである。

 この上津原尋問によって明らかになったことは次の通りに整理できるでしょう。

①10メートル盤に10メートルの防潮壁を築くことには、埋設物などの問題点はあるが不可能ではない。

②6月10日に土木グループの提示した想定津波高さに対する証人が感じた違和感には、具体的な根拠がない。上津原証人は、同人が話した相手である土木グループの高尾氏の説明内容すら記憶していない。

③被告らが主張する、防潮壁を築くとすれば、敷地南側に築くことになったとする主張の根拠は、上津原証人に対する捜査終盤にとられた検察官調書と考えられるが、東電設計の計算結果だけからは、どこに防潮堤を築くかは決まらないことを上津原証人自らが認めたこととなる。

 第3回公判では、追加の書証の取り調べが実施された。

 

第2 第4回公判 技術者の良心と気概を示した東電設計の久保賀也証人の証言

 想定津波の策定の経緯

 2月28日、東京地方裁判所で4回目の審理が開かれ、事故の3年前の平成20年に福島第一原発の津波の想定をまとめた東京電力のグループ会社「東電設計」の久保賀也氏が証言しました。

 まず、久保氏は、平成19年に起きた中越沖地震を受けて福島第一原発の地震や津波への対策を評価し、保安院に提出する耐震バックチェックの基礎資料を作成する手続として委託されたと説明しました。

 そして過去にも東電設計に対して、東京電力から津波評価についての依頼があったことに触れ、政府の地震調査研究推進本部が三陸沖から房総沖のどこでも大津波を伴う地震が起きる可能性があるとする「長期評価」を公表したこと、茨城県が津波の評価に関する新たなモデルを示したことなどから、こうした知見を取り入れて津波の評価をして欲しいという依頼がなされたと述べました。久保氏は、平成19年11月19日に津波バックチェックは地震調査研究推進本部の評価に則ってやるように東電から指示されたと説明しました。

 久保氏は、検察官役の指定弁護士の質問に対して、さまざまな条件を変えて計算し、設計想定津波は一番大きなものを想定すると説明しました。そして、高さ15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという想定を東京電力に報告したと証言しました。この津波の高さについては、明治三陸津波は、最高で30メートルを超えていたので、事前にかなり大きいと言うことは予測していたと述べ、15.7メートルは予測の範囲内であったことを示唆しました。

 この計算結果を東電に示した際には、東電の土木グループの高尾さんたちの反応としては、対策などの問題は残るが受領された、今後の検討については別途指示があるまで保留することになったと説明しました。

 鉛直壁を立てた場合の検討

 久保氏は、津波の想定をまとめた後、「原子炉建屋などがある場所を囲むような高さ10メートルの壁を10メートル盤上に設置したら、津波が壁にぶつかった後、どのくらいの高さに達するのか」をシミュレートすることを求められたと述べました。

 久保氏が改めて計算を行ったところ、壁にぶつかった津波は最大で海面から19.9メートルの高さにまで跳ね上がる、敷地の南端 崖の際の部分が一番高くなっていると説明しました。

 この想定をCGの画像にして提出したところ、東京電力からは「ほかの場所(たとえば4メートル盤)に防潮堤を建設する案なども検討する」と連絡がありましたが、その後、特に指示はなかったのでそのような計算はしなかったということです。

 久保氏は、(4メートル盤に設置されている)非常用ポンプも守らなければならないので、4メートル盤を囲むような計画も必要だと考えていたと述べました。

 久保氏のこの計算は、防潮堤や防潮壁の設置など具体的な津波対策の設計検討を依頼されたわけではなく、鉛直壁の建設を仮定して、その際の津波の挙動を評価することが目的だったと証言しました。

 現在弁護人らは、対策を立てたとしても、南側だけに防潮堤を立てたことになったはずであると主張していますが、東電からの依頼には、南側だけについて鉛直壁を築くというような要請はなかったことも久保氏は明らかにし、弁護人の主張は事実に反することがわかりました。

 東電は津波を小さくできないかと依頼、久保氏は拒否

 (平成20年の4月以降に)15.7メートルの想定津波の報告のあと、東京電力の担当者から「計算の条件を変えたり、津波の動きかたを変えたりすることで津波を小さくできないか」と言われたと述べました。具体的には摩擦係数の見直しや高度な計算手法の取り入れを示唆されたと言うことです。

 これに対して久保氏は、計算の条件については「専門家の決めた土木学会で使われている手法なので変えられない」と答えて、依頼を拒否したと述べました。津波の動きかたについては、残波や砕波について非線形解析を加えたりして、想定を変えて計算してみたが、実際には津波の高さはほとんど変わらなかったとも述べました。

 延宝房総沖に波源を置くモデルも久保氏が策定

 また、房総沖の波源モデルである延宝房総沖に波源を置くモデルについては、2008年の10-11月に資料は東電に提出されており、茨城県の津波対策では中央防災会議津波防災で使っていて、房総沖の波源モデル既往モデルを北に80㎞移動して作成したものであると述べました。この波源モデルも久保氏が策定したものであることが明らかになりました。

 検察官の依頼で、敷地の一部だけに防潮堤を築き、東日本太平洋沖地震を模擬する津波を再現

 弁護人側の尋問では、第3回の公判で示された東電と検察官の作成した書証を示して内容を確認する尋問が続きました。

 久保氏は、東日本太平洋沖地震を模擬して、津波を再現して、どれだけ津波が遡上するかという計算を検察官の依頼によって作ることになったと述べました。これは、直接対応したわけではなく、前提条件は高尾さんから言われ、10メートル超えたところを1.2倍して、防潮壁を南側など3個所だけに立てる計画にしたということです。

 しかし、この際の想定では、防潮堤が南側など敷地の一部(3個所)だけに設置され、壁が垂直に切れている設定となっていました。しかし、(防潮壁を築くとした場合に)途中で切ってしまうような工事計画があり得るかと指定弁護士に問われて、久保氏は、「(こういう設計をすれば壁が)弱くなる。こういうことは考えられない。」と答えました。また、平成20年当時にこういうものを作ったことはないとも述べました。弁護人の根拠とする南側などだけに防潮堤を築くことになったという主張が砂上の楼閣であることが明らかになりました。

 これに対して、宮村弁護人は、(敷地の一部だけに防潮壁を築くこととした場合にも)鉛直壁の設置の計算拡がりの裕度を見込んでおり、左右に跳ね返りがあり得ることを想定して全体を囲うように設定したのではないかと聞き、久保氏は一応これを認めました。

 しかし、これに対して、さらに、石田指定弁護士はピンポイントで津波が来ることを予測しても、津波の震源が少しでもずれたりすれば、その対策では対応できないのではないかと聞きました。これに対して、久保氏はそのとおりであることを認めました。

 L67モデルは東電設計の理学系の技術屋が作ったもの

 この3.11津波の襲来を模擬したとされるL67モデルについて、久保氏は、「自分はよくわからない。東電設計の理学系の技術屋が作ったもので、実際の津波再現できるモデルとして提案したものだと聞いている。」と述べました。

 10メートル盤に10メートルの防潮堤があれば一定の効果はあった

 また、OP20メートルまで、すべての敷地全面に防潮堤が作られていたらどうだったかと指定弁護士に問われて、久保氏は、「一定の効果があった。一部津波が超えているが。防潮壁が壊れたらどうなるかはわからない。」と答えました。

 10メートル盤に10メートルの防潮壁が作られていれば、有効な対策となったことを久保氏も認めたのです。

 裁判官の補充尋問

 陪席裁判官は、「現実的に設置可能な案」の策定の依頼はないのかと質問した。久保氏は、「そういう依頼はない。」「具体的な案は違う部門で検討される。」と答えました。

 別の裁判官はこの津波の想定を東京電力の社員以外に伝えたかどうかを尋ねました。これに対して久保氏は、「どこから聞きつけたか分からないが、東電設計の当時の社長と土木本部長から内容を説明してほしいと言われたので報告した」と説明しました。この津波の想定に関する情報が東電内部から、東電設計の最高幹部にも駆け巡っていたことがわかります。

 裁判長は、東京電力の担当者とのやり取りの際に、具体的にどのような発言があったのかを尋ねました。久保氏は「津波対策が必要だという話題は出たが、それ以上のやりとりやどのような様子だったかはおぼえていない」と答えました。

第3 第5-7回公判 土木調査グループで津波対策を進めようとした高尾誠課長

 最重要証人を三期日かけて取調

 高尾証人は、平成19年以降東電内で津波対策を積極的に進めようとしていた中心人物であり、裁判全体の中で最も重要な証人です。高尾氏は、技術者として、一生懸命津波対策をやろうとしていたことがわかりました。高尾氏が所属していた土木グループでは実際に津波対策の工事を行おうとしていて、武藤元副社長が許可さえ出せば、動き出せる状態になっていたことがはっきり分かった証言です。津波対策の中心を担った人の非常に生々しい証言は検察官役の指定弁護人の立証の要になるものだったと思います。

 2007年12月には土木調査グループとしては津波対策を決定

 2007年12月10日には、日本原電の担当者が作成したメモが証人に示されました。このメモには、「推本に対する東電のスタンスについて(メモ)(高尾課長からのヒヤ)」と題され、○推本の取り扱いについてはこれまで確率論で取り扱ってきたが、確定論で取り扱わざるお(ママ)えないのではないかと考えている(酒井GMまで確認)。○これまで原子力安全・保安院の指導を踏まえても、推本で記述されている内容が明確に否定できないならば、BCに取り入れざるお(ママ)えない。○今回のBCで取り入れないと、後で不作為であったと批判される。○津波評価についても、推本で記述しているものはBCに取り入れるということを、全社大で確認する必要がある(今後、土木WGで確認するいう段取りか)。○今後の進め方について酒井GMと相談する。」とされています。土木調査グループの方針が確定していたことがわかります。

 指定弁護士は、「当時、『長期評価』を津波対策に取り入れるかどうかについてどう考えていたか」を尋ねました。高尾氏は、「取り入れるべきだと考えていた」と明確に答え、その理由として、次の6点を挙げました。

①東電が14-15年からすすめてきた確率論的評価においても、福島第一に高さ10メートルを超える津波が襲う確率は10-4-5乗のオーダーであり、耐震性の検討でも当然評価しなければならない確率を上回っていたこと

②地震学者などに対して実施した重み付けのアンケートでも「長期評価」を考慮すべきであるという意見が6割あり、過半数を超えていたこと

③新設の東通原発の設置許可申請ではすでに「長期評価」が取り入れられていたこと

④他の既設炉の耐震バックチェックにおいても、すでに「長期評価」が取り入れられていたこと

⑤地震調査研究推進本部は政府機関であり、権威ある機関であったこと

⑥地震調査委員会の阿部勝征教授が、保安院の主査であり、長期評価を支持しており、バックチェックで審査を通るためには推本を取り入れるべきであると考えたこと。

 柏崎活断層隠しに連座

 平成19年12月には、この年に発覚した東電の情報隠し問題に証人が関係していたことが明らかになりました。すなわち、東京電力は、平成15年には柏崎刈羽原子力発電所の沖合にある断層について「活断層」だと再評価していましたが、平成19年7月の中越沖地震の発生まで、このことを公表しなかった問題で謝罪に追い込まれました。高尾氏はこの謝罪会見に列席したといいます。高尾氏はこの経験を通じて、「社内の考え方だけで決めるのではなく、県民目線で考え、できるだけ速やかに公表することが重要だという教訓が得られた」「一般の目線で判断して、早く公表することが重要だと思っていた」と証言しました。推本の長期評価を取り入れるという方針も、このようなまっとうな考え方に基づいて進められていたことがわかります。

 今村氏も推本見解は津波バックチェックに取り入れるべきとの意見

 2月16日には、勝俣社長が出席する中越沖地震対応会議(通称「御前会議」)が開催されました。この会議には社長以下の役員、吉田設備管理部長、山下地震対策センター長、各GMが出席する、全社横断的な最重要の会議体でした。この日の会議では、津波の想定高さについて再評価し、7.7メートルあるいはそれ以上になると山下センター長が報告しました。

 この時期に、高尾氏は今村文彦氏と会っている。この時点では今村氏は、推本長期評価ははバックチェックでの津波波源として考慮すべきだという意見でしたた。このことは、社内の建築、機械などのグループにも、東北電力と日本原電にも伝えられました。

 想定津波計算結果を聞き、対策を実施すべきて感じた

 3月18日には、東電設計と東京電力との打ち合わせが行われ、計算結果の成果物が納入されました。長期評価で示された日本海溝寄りプレート間地震津波を検討の対象としたこと,これに基づいて三陸沖を波源とした場合の津波水位の許算結果として.本件原子力発電所敷地南側の最大津波高さはO.P. +15.707m,北側では13.687mとなることが示されました。指定弁護士からこの想定を目にしたときにどう感じたかを聞かれ、高尾氏は「建築や土木設備グループなど関係各所に結果を適切に伝え、対策を実施すべきだと感じた」と証言していました。

 具体的な津波対策案を決めるための検討

 4月には、津波対策の程度を決めるために、10メートル盤に10メートルの鉛直壁を敷地の全面に構築した場合に、どの部分に津波が遡上してくるかの計算を依頼し、この計算結果を踏まえた東電と東電設計の検討が4月18日に行われました。

 4月から5月にかけては、土木グループだけでなく、建築や耐震などのグループも集めて、防潮堤だけでなく、海の中に防波堤を築く計画なども議論され、想定津波高を踏まえた対策を他のグループでも検討を始めてもらうように話したと証言しました。

 4月23日の部内の検討会合の議事録では、鉛直壁19メートルは対外的に大きなインパクトがある、社内のDR(デザインレビュー委員会)や常務会にも上げて、上層部の意見を聞く必要があるなどと話し合われています。

 平成20年6月2日には、福島原発の津波に関して、酒井、高尾、金戸と吉田発電設備管理部長との会合がもたれています。吉田氏からは、「上に上げよう」と返答があり、至急武藤氏との会合がセットされました。

 6月6日9日には、東電設計との会合があり、東電設計からは、砕波の効果を見積もっても、津波高の低減は見込めないこと、沖合の防波堤の設置は10メートル遡上するところを4メートル程度低減できることが報告されています。

 武藤氏は6月には津波対策をとることを前提に質問をした

 平成20年6月10日、高尾氏は吉田昌郎、山下和彦、直属の上司酒井俊朗、部下の金戸俊道及び機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループの担当者が出席し、被告人武藤に、地震本部の長期評価を取り上げるべきとする理由及び対策工事に関するこれまでの検討内容等を、資料を準備して報告しました。証言では、武藤に示された書面をもとにくわしい証言がなされました。

酒井俊朗、高尾誠が行った、地震本部の長期評価を採用して、津波対策を講じる方向での説明に対し、被告人武藤は結論を示さず、

①津波ハザードの検討内容について詳細に説明すること、

②4m盤への遡上高さを低減するための概略検討を行うこと、

③沖合に防渡堤を設置するために必要となる許認可を調べること、

④平行して機器の対策についても検討すること、

を指示しました。

 高尾氏は、これらの検討事項は①を除けば、対策実施を前提としたものであり、対策を実施する方向で上層部も動いていると考えていたと証言しました。

 10月中に対策工事の検討を完了すると他社にも宣言

 7月23日には、東北地方の太平洋岸に原子炉を保有する四社情報連絡会が開催されました。この時に日本原電が作成した議事録が残されています。この議事録において、高尾氏は

「対策工を実施する意思決定までには至っていない。

 防潮壁、防潮堤やこれらの組合せた対策工の検討を10月までには終えたい。

 津波のハザードの検討結果から、従来の土木学会の手法では10-3のオーダーで、今回の推本の津波評価が10-5のオーダーである。地震のハザードが10-5オーダーであることから、推本の津波も考癒すべきであるとの社内調整を進めている。」

と述べています。高尾氏が、津波対策策をとらないことが決定されるとは、つゆほども考えていなかったことがわかる発言です。

 7月31日 武藤二次面接 「研究を実施しようで力が抜けた」

 7月31日には、土木グループと関連グループ、吉田氏や山下下出席したうえで、武藤氏との話し合いがなされました。時間は50分であったということです。高尾氏らは状況報告、関係他社の状況の説明、今後とるべきアクションなど、6月10日に示され準備した宿題の内容を説明しました。武藤氏からは説明への反応はなく、おわり数分となったところで、武藤氏は、高尾氏らに対して「研究を実施する」あるいは「研究を実施しよう」と述べたといいます。これを聞いて、高尾氏は残りの数分間どのような話をされたか覚えていないということです。「前のめりに対策を煮詰めようとしていたのに、対策を実施しないという結論は予想していなかったので力が抜けた」と証言しました。

 「研究する。津波対策工をやらない。」と武藤氏に言い渡された際の『後の数分間は記憶が飛んでいる。力が抜けてしまった』という高尾氏の感想は、これまでの公判の中で最も重要な証言だといえます。

 高尾氏は、「直後に酒井氏が他社に送っているメールを見て、武藤氏の考えていたことが正確にわかった。」と述べ、結局推本の長期評価については土木学会に検討を依頼することとなり、土木調査グループの推本の長期評価を2009年6月までのバックチェック最終報告に反映させるという方針は保留となってしまったのです。

 しかし、この時点でも、高尾氏は推本の長期評価の考え方は、南北でプレートの動き方が異なる可能性があるとしても、否定はできないと考えていたといいます。

 この打ち合わせを受けて、酒井氏が関係他社に経過をメールしています。このメールで、東電の社としての方針の変更・転換があったと明確に述べています。

 8月6日には再度、四社情報連絡会が開催されました。そこでは、「東電は、海溝沿いの地震(どこでも起きる)について、推本の見解を無視することはできないが、取扱については、今後電共研でプラクティスについで検討していくこととし、当面の耐震バックチェックでは土木学会手法をベースとして進めることとしたい。」「各社東電の進め方に対する見解を社内で、確認し、回答することとした。」と記録されています。

 やはり、津波対策は不可避

 平成20年9月10日には電事連の土木技術委員会が開催され、高尾氏はこの会合に出席しました。ここで電力共通研究として推本の長期評価について調査することが提案されました。この「電力共通研究新規提案理由書」には、この研究の緊急性に関して、「プラントの停止を求められるリスクがある」と明記されていました。

 同じ9月10日、福島原発では、所長以下も出席して「耐震バックチェック説明会」が開催されました。この会合には金戸氏が出席しています。この日は、15.7メートルの津波計算結果や武藤氏からの検討を依頼された事項なども説明したということです。しかし、これらの津波の資料は機微情報として回収され、議事録にも掲載しない扱いとなりました。この資料の中では、「東通(ひがしどおり)申請書では推本の知見(三陸沖から房総沖の領域内でどこでも発生)を参照し、三陸沖に地震を想定。」「東北大今村教授(H20/2/26)福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できず、波源として考慮すべきであるとの見解。」「地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、原状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」などと記載されていました。

 外部専門家への説得工作

 続いて、対応が保留になったことについて、土木グループの高尾氏らが、外部の津波の専門家に説明したときのやり取りが明らかにされました。高尾氏は、まず首藤氏に、津波評価技術を改訂し、これに基づいて対策を実施すると説明し、了解を受けたといいます。しかし、対策に冗長性(リダンダンシー)を持たせるようにとの注文もあったといいます。続いて、佐竹氏にも面談し、貞観の津波に関する論文の原稿を受け取ったといいます。これも、佐竹氏は貞観の津波の波源を参考に対策を進めて欲しいという意思の表れではなかったかと考えられます。

 続いて、高橋氏からは、極めて厳しいコメントがありました。高橋氏との面談は「非常に険悪なムードになった」とされ、「長期評価」を取り入れないのであれば、その根拠を示すべきだと厳しい指摘を受けたことを証言しました。

 今村氏は、この年の2月に会ったときは、推本の長期評価を取り入れるべきとの意見でしたが、10月に会ったときには少しトーンが違い、東電の方針を了解されたということです。ただ、それは津波評価技術を改訂する、これにもとづいてきちんとバックチェックすると私たちが説明したからであり、前提がちがったから、対応も異なったのだと思うとの証言でした。

 高尾氏らは、11月13日に、これらの面談結果をまとめて、吉田部長に報告しています。このときまとめた報告では、首藤、今村◎、高橋△、佐竹○となっています。この時点で、推本の長期評価をバックチェックでは扱わないという方針を発電設備管理部として決めたことになります。

 津波対策のための社内の体制構築を提言

 高尾氏は、津波対策が実施されない状況に問題があると感じ、平成21年6月頃にプラント全体を見て、津波対策を進める体制を作るべきだと進言しました。

 しかし、平成21年7月28日酒井氏から、高尾と金戸宛のメールで、「そのような体制を考える必要はないのではないか」と返され、進言は却下されました。

 平成21年8月に、高尾氏は保安院の名倉審査官と面談し、貞観の津波についての検討状況を報告して欲しいと言われ、8月28日に会い、東電が津波堆積物調査を実施していることを報告して了承を得たといいます。

 8月ころ、酒井氏と武藤氏が津波対策の件で会っているようですが、自分は報告を受けておらず、報告内容はわからないということです。9月頃にも武藤氏から酒井氏に津波対策に関してオーダーがあったというメールが残っていますが、これも酒井氏からの説明はなく、自分は知らないと証言しました。高雄市を離れたところで、上層部で密談が凝らされていたように見受けられます。

GMとなり、津波対策ワーキングを立ち上げる

 平成22年7月高尾氏は、土木グループのGMとなりました。高尾氏は、これまで実現できなかった津波対策の対応体制を作ろうとしました。そして、津波対策WGをグルーブ横断の組織として作ることができたといいます。

 第1回は平成22年8月、第2回が平成22年10月、水密化や電源などについても話し合われたが、対策が具体化するには至りませんでした。

土木学会津波評価部会は房総沖で集約

 土木学会の津波評価部会では、①過去に津波地震が起きたところだけを対応すればよい、②どこでも起きるが、北部と南部では構造が異なる、③どこでも起こりうると、意見が分かれたが、重み付けアンケートで、②,③を合わせると6割に達し、平成22年12月の段階で、土木学会として長期評価を取り入れること、南北の評価を変えることが意思一致されました。  津波対策ワーキングは第3回が平成23年1月、第4回が平成23年2月に開催されました。第3回では、延宝房総沖の津波波源で、タービン建屋が浸水することを具体的に示して、他のグループの注意を喚起したといいます。

保安院とのやりとりを武藤本部長に連絡

 平成23年2月20日頃、高尾氏は、名倉審査官と打ち合わせをしています。23日には高尾氏は武藤氏に直接名倉審査官の対応をメールしていました。これは土方や山下ら上司からも報告しておくように言われてやったことでした。

 このメールに対して、26日には武藤氏は、次のようなメールを返しています。

 「話の進展によっては、大きな影響があり得るので、情報を共有しながら、保安院との意思疎通を欠くレベルで図ることができるよう配慮をお願いします」

 平成23年3月3日には、高尾氏は、文科省の「日本海溝長期評価情報交換会」に出席しています。

 3月7日には、高尾氏は上司の土方、山下とも相談した上で、保安院名倉審査官と小林室長に対して、これまで提示していなかった三陸沖と延宝房総沖の波源の計算結果を提示しました。

 高尾氏は、この打ち合わせで、土木学会津波評価部会で、「北部では『1896年明治三陸沖』、南部では『1677年房総沖』を参考に設定」する方針で異論無しとされていることを説明しました。「明治三陸沖」では南側でO.P+15.7mとなること、「房総沖」では、O.P+13.6mでタービン建屋が浸水するなどがわかっていることを説明しました。保安院の二人は津波高さに驚き、普通の感じではあったが、厳しい口調で、「早急に対策が必要。」「保安院として事業者に指示、指導することもあり得る」との発言があったということです。高尾氏は、保安院から「工事をしろ」という指示までは出ていないと証言しましたが、電力会社が自ら判断するべきことでした。。

 高尾氏は、この日の夜、このヒアリングの内容について、武藤本部長と小森副本部長に直接メールで報告しました。しかし、これに対する武藤氏、小森氏からの反応はありませんでした。

 高尾氏は主尋問と反対尋問で答え方を顕著に変えた

 高尾氏は、弁護側の反対尋問では、主尋問とは異なり、東電の立場を擁護する尋問を繰り返しました。これが同じ人の証言かと思うほど対照的でした。

 平成23年3月7日の時点で、保安院の担当者から「保安院から指示を出すこともあり得る」と言われたが、強い口調ではあったが、貞観の津波を取り入れるように、早く報告書を出すようにと言われたわけではないと述べました。「直ちに対策をとるように」、とか「炉を停止すべき」と言われたわけではないと述べました。

 高尾氏は、実際に津波が来ると考えていたのかと問われると、「長期評価は確度の高い計算がされていなかったので切迫性はないと考えていた」と答えました。

 バックチェックは動かしながら対策をすることも認められていたと高尾証人は証言しますが、すくなくとも、KKについては、新潟県泉田知事の強い姿勢から、耐震補強とバックチェックの合格がなければ再稼働はできなかったのであり、新しい基準に適合していない原発が危険であることは当然のことです。この当時から、原発訴訟における違法性判断のための科学水準は現在の科学的知見によることが最高裁伊方判決によって示されていました。

 バックチェックの中途半端なスキームによって、福島の事故を未然に防ぐことができなかったことの反省として、新しい規制では、運転のためには基準適合性を証明しなければならないというバックフィットの体制がとられたのです。

 高尾氏は、反対尋問で、防潮堤を築くとすれば、南側、北側、中央に三個所作ることになっていたと証言しましたが、それは他の土木建設や建築などの担当者が考えることであり、高尾氏が考えることではありませんでした。波源の設定によって遡上個所は移動するのであり、施工面からは防潮堤をつなげることもありうることは高尾氏も認めました。

 平成23年2月の津波対策ワーキングに提案された防潮堤案も、敷地全体を囲うものが提案されていました。久保証人は、高尾氏の言うような細切れの防潮堤の施工は考えられないと証言していました。反対尋問における高尾証人の証言は東電擁護に終始しており、極めて不合理なものであったと言わざるを得ません。

第4 8・9回公判 土木調査グループGM(部長)酒井俊朗氏の証言のポイント

 はじめに

 第8回、第9回公判が4月21日、24日に開かれ、東京電力の土木調査グループのGM(ジェネラル・マネジャー)であった、酒井俊朗氏が証言しました。先に証人調べを実施した高尾誠証人と対比した、証言のポイントを簡略にまとめておきます。

 長期評価に基づく津波対策の必要性を上司や他グループに説明

 酒井氏は、推本の長期評価を取り入れた津波対策の必要性を2007年11月頃から検討を始め、2008年1月には、土木調査グループとして、バックチェックにおける基準津波高について、推本の長期評価に基づいて明治三陸沖のモデルを福島沖に置いたモデルでの津波高の計算の依頼を東電設計に行い、この発注には吉田部長の了解を取りつけ、この承認書は他の対策工事を行うグループのGMにも共有したことを説明しました。

 酒井氏は、推本の長期評価については、なぜどこでも津波地震が起きるのかの根拠が書かれておらず、日本海溝沿いのプレート境界の構造について南北での構造の違いを指摘する専門家の見解も存在したので、根拠が明確ではないと考えていたが、2008年2月頃に高尾氏が、見解を聞きに行った際に、保安院の審査に当たる専門家である東北大学の今村文彦氏が推本の長期評価を取り入れるべきであると言っていることなどを聞き、推本の見解を取り入れなければ、耐震バックチェックで保安院の了解を得ることは難しいと考え、社内の他の部署や上層部を説得しなければならないと考えたと述べました。

 確かに2008年2月当時から、酒井氏については「津波対策を中間報告に入れるかどうかではなく、きちんとした対策がとれるかが問題だ。」「詳細計算をすれば、津波の高さは高くなる。」「地域に説明しなければ津波工事はできない」「地元説明はセンシティブな問題となる」「(津波の予測高さとその対策を公表すれば、)地元から停止を求められることもあり得る」などの発言やメールが記録されています。

 そして、早急に対策を講じなければ、計算結果を公表した段階で、自治体等の対応により、炉の停止に追い込まれるという危機感を持っていたことを認めたといえます。

 武藤副本部長に説明

 酒井氏は、津波対策を取ることについて社内を説得しなければならないと考え、当時の上司であった吉田原子力発電管理部長とよく本店の喫煙室で会ったときに相談し、6月に武藤元副社長に報告することになったと証言しました。

 そして、2008年6月10日に津波対策を進言した時点では、高尾証人と同じく、その年の秋には津波対策工事の概略案を土木調査グループで確定し、他の土木建設、建築や耐震技術などのグループに引き取ってもらい、津波対策工事を進めようという考えであったことを認めました。

 この過程で、南の延宝房総沖に波源を移して、津波の規模を小さくする方向や、詳細なパラメータースタディを実施しないという考えも出されたが、いずれも、保安院のバックチェックの審査の過程で、明治三陸沖を波源とし、詳細なパラメータースタディを行うという、より厳しい想定をとらない理由の説明を求められると、説明ができず、対策の練り直しを迫られるリスクがあり、酒井氏は高尾氏の提案に同意したと証言しました。

 このように7月31日までの対応については、力点の置き方は違っても、津波対策の早期実施が必要であると考えていた点では、酒井氏と高尾氏の証言は重なり合うものであったとまとめられます。

 私の予測する経過とは違っていたが、それなりの合理性はあると考えた

 しかし、7月31日の二度目の武藤氏との会議の受け止め方は高尾氏とは対照的でした。高尾氏は、津波対策の実施に前のめりになっていたので、「力が抜けてしまい、その後の会議内容の記憶がない」と証言し、対策をとらないという結論が予想外のものであったことを示唆しましたが、酒井氏は、武藤元副社長とのやりとりを克明に記憶していました。

 すなわち、この日の会議では、酒井氏が主として説明に立ち、高尾氏は確率論の部分の説明を担当しました。武藤氏は「波源の信頼性が気になる。第三者にレビューしてもらう。」と述べ、酒井氏は、「明治三陸沖の波源は信頼性はないが、安全側で使っている」と答えました。武藤氏は「外部有識者に頼もう」と述べ、酒井氏は、「土木学会しかない」と答えました。酒井氏は、この日の結果は自分の想定とは違っていたと述べました。それで、酒井氏は、「第三者に頼んでいては、バックチェックには間に合いませんよ」と武藤氏に言い返しています。武藤氏は、「有識者の方々に、東電として対策をとらないわけではない。バックチェックは土木学会津波評価で行うが、対策が必要となれば、きちんと実施すると説明して理解を求めてくれ」と応じ、酒井氏は、これに同意したというのです。

 武藤氏の土木学会への検討指示は時間稼ぎだったことを認めた

 この日の結論が酒井氏にとっても、予想外であったことは、すぐに酒井氏が東北電や日本原電に、東電の津波対策の方針が変更になったことを知らせていることからもわかります。

 また、2008年8月18日の酒井氏の高尾氏らに向けたメールには、貞観の津波に関連して、「貞観地震のモデル化について、電共研でさらに時間を稼ぐのは厳しくないか」などの記載もあり、武藤氏の示した方針が「時間稼ぎではないか」と渋村指定弁護士に問われて、「時間稼ぎと言われれば、時間稼ぎだったかもしれない」と認めたのです。

 南北の構造の違いを考慮しても、津波高が2メートルしか下がらないことは2008年8月に判明していた

 酒井氏は、「私も推本の長期評価は信頼性が低いと考えていた。武藤氏の対策先送りの判断は、津波対策を進めるべきだという自分の考えとは違っていたが、それなりに合理性があると感じた」と証言しました。この点を意味のある証言と認めることはできない。

 なぜなら。推本の長期評価について、酒井氏が問題にした点は、北部と南部がプレートの構造が違うと言うことだけであり、福島沖で津波地震が起きないことを示す知見などはなく、南側の延宝房総沖野波源で計算しても、13.6メートルとなることは2008年8月には東電設計への追加計算の委託によって分かっており、仮に土木学会で検討を続けても、これ以上想定津波が下がる見通しのないことははっきりとしていたからです。事実、2010年末にはそのような学会の方向性がまとまっています。対策をとらずに放置しておいて良い状況でなかったことは明らかなのです。

 30年間に20パーセントの事象は原子力安全の世界では切迫したもの

 酒井氏は、弁護側の反対尋問では、「東海、東南海、南海地震のように切迫感のある公表内容ではなかったので、切迫感を持って考えていなかった」とも証言しました。しかし、推本の長期評価では、この領域での地震の発生確率は今後30年間に20パーセントとされており、1万年から10万年に一度の自然災害に確実に対応していくという原発に求められる安全レベルからすれば、極めて確率の高い事象であったといえます。これに対して、対応をとることなく、運転を続けたことが過失を構成することは明らかだといえます。

第5 参考文献

添田孝史 「東電原発裁判――福島原発事故の責任を問う」 (2017 岩波新書)

同 「原発と大津波 警告を葬った人々」 (2014 岩波新書)

海渡雄一 「市民が明らかにした福島原発事故の真実: 東電と国は何を隠ぺいしたか」 (2016 彩流社ブックレット)

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