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2020年10月28日

【書評】芦部憲法学は現代日本の民主制と司法の陥っている危機に抗する希望の星だ=渡辺秀樹『芦部信喜 平和への憲法学』を読む=(弁護士海渡)

 

           2020年10月 弁護士 海渡 雄一

第1 本書の概要

岩波書店から、渡辺秀樹著『芦部信喜 平和への憲法学』が公刊された。

https://www.iwanami.co.jp/book/b530026.html

 この書籍は、信濃毎日新聞の論説副主幹を経て編集委員をされている渡辺秀樹氏の手になる憲法学者芦部信喜(以下単に「芦部」と略させていただく)の評伝である。信濃毎日新聞に連載されていたものを加筆改稿して一冊の本にまとめ上げたものである。

 渡辺氏は、法律家ではない。芦部の講義を受けたわけでもない。同郷という以外の接点はない芦部氏の足跡をジャーナリストらしく、徹底的に調べ上げて、インタビューと収集した資料で語っていく。新聞記者らしく、無駄のない文体の中に、芦部憲法学の誕生、発展、進化の過程が語られている。素晴らしい評伝が、日本が憲法の危機に見舞われているときに出版された。章ごとに内容を確認していこう。

第1章 源流 伊那谷から

 赤穂尋常高等小学校で、民俗学者であった向山雅重の実地教育、社会の実態を徹底してスケッチしていく教育を受けたことが説明されている。この教育が、後世の立法事実論につながったという。

 また、伊那中学では東京帝大を卒業した直後の臼井吉見(雑誌『展望』の初代編集長)の指導を受けている。芦部の憲法学が学理ではなく人間の生活に根ざしていることは、この二人の指導者の指導を受けたことの影響が認められると思う。

 伊那中5年の時、信濃宮神社の造営のために動員されたこと、学徒動員で軍務に服し、厳しい規律の中で苛め抜かれ、自らも特攻候補生であった特別操縦見習士官の一次試験まで合格し、遺書を書き、遺品を母あてに送っている。多くの学友を戦争で失った。戦後は、農村文化運動に参加する。この時期に芦部が創刊した雑誌「伊那春秋」に寄せた一文が引用されている。

 「敗戦後我々は唯過去の日本精神の代わりに、無批判にマルクスやレーニンの或いはアメリカニズムの阿片に陶酔していはしないか。或いは又、選民思想皇道哲学以外何物も現実の矛盾を分析できなかった盲従の過去を深く反省せず、敗戦の責任を全て戦争責任者に集中させていはしないか」

 この一文に、芦部のその後の憲法学の原点が込められているように思う。

 その後に芦部は東大に復学し、リベラリスト宮沢俊義の助手として研究者となる。

第2章 憲法改正と自衛隊

 岸政権の下で進められた憲法改正調査会に、芦部の師宮沢は憲法問題調査会を組織して抵抗した。芦部は、憲法改正、九条改正に対して批判的な論考を次々に発表していく。無罪判決(自衛隊の憲法判断は回避)を勝ち取った恵庭事件で特別代理人となった深瀬忠一を芦部は背後から支えた。

 1969年長沼事件が発生、1973年には福島裁判長による無罪判決が出される。憲法判断を回避することなく、自衛隊は憲法が禁ずる戦力であるとしたのである。この判断には、憲法違反が重大で、紛争の根本的な解決が必要な時には憲法判断を回避するべきでないという考えが示されている。芦部が憲法判断を安易に回避するべきでないと唱えていた考えにつながる。

第3章 人権と自由

 芦部が珍しく法廷で証言した総理府統計局事件。選挙に関連する統計局の3人の事務官が庁舎の通用門で都議選に関する記事の掲載された組合ニュースを配布した事件である。この裁判で、芦部は1970年7月東京高裁で、立法事実論、合憲性審査の方法、アメリカにおける判例理論などを説明し、政治活動の制限規定は優越的な地位を保障されるべき表現の自由を制約するものであり、公務員に対する政治活動の制限規定は厳しく限定解釈すべきだと証言し、一審有罪判決を覆す無罪判決を導いた。

 この証人尋問を担当したのは、私の所属する東京共同法律事務所代表の宮里邦雄弁護士である。

 この章では、猿払事件、教科書裁判、堀木訴訟など現代につながる多くの憲法裁判に意見書を提出するなどして協力した芦部の姿が、事件を担当した弁護士への取材も踏まえて詳細に語られている。

第4章 国家と宗教

 本章では、中曽根首相の靖国神社公式参拝の是非を議論した、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」における芦部の奮闘ぶりが分析されている。基礎となった資料は、著者自身が情報公開によって開示に成功した二回から十二回まで議事録、委員であった佐藤功旧蔵資料、芦部が残した論考などから、再現している。列席していた阪田元内閣法制局長官によれば、公式参拝に賛成と反対は8対7だったという。収録されている顕名の議事録では、憲法学者の芦部、佐藤、田上譲治、文学者の曽野綾子、梅原猛と、元最高裁判事の横井大三の6人が反対意見を述べていることが確認できる。辞任すべきかを迷った末に、芦部は、少数派の違憲意見をきちんと残そうとしたのである。

 本章と第5章では、自衛官合祀訴訟へのかかわり、天皇代替わり時の大嘗祭への政府支出の違憲性を問う裁判(佐野通夫教授らが原告)の取り組みまでが紹介されている。

第5章 象徴天皇制とは何か

 本章は、天皇制に関する芦部の考え方を探ろうとした章である。著者が頼ったのは、東大出版会が学生のノートをもとに、教授本人の校閲を経て出版していた講義録である。

 ここで、芦部は、憲法は、明治憲法下の統治権の総覧者の地位を否定した喪失した結果象徴としての役割が前面に出ているのであり、天皇には象徴としての役割以外の役割を持たないことを強調すべきだとしている。

第6章 インタビュー 芦部憲法学から現代を問う

 この章では、合計13人の縁があった憲法学者や最高裁判事などの方々の芦部憲法学に寄せる思いが語られている。どれもなかなか興味深いが、前川喜平氏は、芦部の講義を何度も繰り返し聞いたというインタビューが目を引いた。近年の前川氏の活躍の基礎には、芦部憲法学があったのかと合点がいった。

番外編 二つのスクープ

 靖国懇の議事録の情報公開と長野県をはじめとする多くの自治体トップが護国神社に公式参拝していたことを報じたスクープ記事の再録と後日譚である。

附録 「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」第七回議事録

 

第2 芦部憲法学は現代日本の民主制と司法の陥っている危機に抗する希望の星だ

 私は1974年に東大法学部に入学し、憲法の単位は小林直樹先生の授業で取得した。しかし、芦部先生(ここでは「先生」をつけさせてもらう)の講義には欠かさず出席しノートを取った。「国法学」という単位が憲法とは別に開講されており、この単位は取得した。この講義は「憲法改正には限界があるのか」という問いに対する答えを見出すための格闘のような講義であった。芦部先生は、繰り返し憲法改正には限界があるのだ、近代憲法の中核となる価値、人権保障、国民主権、平和主義は、憲法が改正されたとしても、変えてはならないものだと説いてやまなかった。
 憲法改正が具体化されるはるか前の段階で、芦部先生には近い将来に憲法改正が問題になる予感があったのだろう。
 この講義の内容は、1983年には、「憲法制定権力」として公刊されている。
 現代の日本、憲法改正を目的に掲げた安倍政権が終わった。しかし、新たに政権について菅首相も憲法改正を目標に掲げている。国会の中には、自民党以外に憲法改正に否定的でない勢力が増しているように見える。
 政治にかかわる記録が信頼できず、確立していたはずの法解釈が、政権・官邸の都合で変えられる。公文書の改ざん・隠匿は日常化している。
 このような行政府の異常な状態を正すのは、1つには国民から国政を預かっている不偏不党のはずの官僚の矜持であり、2つは立法権を持つ国会とりわけ野党の国会での質問権を駆使した行政の是正であり、3つは独立した司法による違法な行政の是正であり、違憲な立法の違憲審査を通じた統制のはずである。 

 しかし、官僚は政権による人事局の恣意的な人事運用によって、口を封じられ、政権は国会をほとんど開かなくなった。そして、政権は最高裁判事の任命まで意のままにあやつり、最高裁の不都合な判断がなされないよう、最高裁人事を通じて防衛ラインを築こうとしている。今年、黒川検事長問題・検察庁法改正として問題となったことは、政府幹部の犯罪・不正を追及しなければならない検察のトップに官邸の意のままになる人物を据えようとして起きたことであった。 

 憲法学は、政治があらぬ方向に向かわないように、これを掣肘するために存在する。芦部憲法学は、内外の憲法学の研究を深め、日本の最高裁が適用できる形にして提示した、戦後憲法学の至宝である。 

 かつて、憲法改正を目指していた中曽根氏は、自らの公式参拝の是非を論ずる靖国懇のメンバーとして芦部を招いた。確かに委員の数の多数で違憲論を押し切ろうとしたことは批判しなければならないが、学術会議の指名についての中曽根氏の答弁を見ても、中曽根氏には、憲法学、さらには学術に対する敬意が残っていたように思う。これに対して、安倍首相は芦部教授の名前を知らないと国会で答弁している。そして、その後継である菅首相は学術会議のメンバーを政権の好き嫌いで判断してかまわないと考えているようだ。法学をはじめとする学術に対する敬意が政権中枢から消滅しているようだ。トランプ政権を先頭に世界に蔓延する反知性主義の独裁政治に日本の政治も同調していこうとしているようにみえる。 

 このような時期に芦部憲法学の歩みを人間芦部の歩んだ道をたどって明らかにしてくれた、渡辺秀樹氏の労作『芦部信喜 平和への憲法学』が出版されたことに心から感謝する。 

 荒廃した日本の政治と、これに追随しているように見える司法のただなかで、私たち法律家はあきらめることなく、人々の生活の現場で救済しなければならない新たな課題を見出し、裁判官の良心を励ましながら、積極的な司法判断を引き出し、その解決に全力で当たると同時に、政治と立法にも働きかけながら、人々の生活を改善できるような法制度の確立のために立ち働いていかなければならない。また、人権と民主主義を崩壊に導くような立法・憲法改正の企てには全力で抗しなければならない。そのとき、芦部先生の指し示した憲法学は、希望の星であり、定点である北極星としてゆるぎなく輝いている。

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