書籍・メディア

2018年2月22日

海渡雄一弁護士の「伊方原発最高裁判決の再評価 福島原発事故を繰り返さぬための裁判規範を求めて」が判例時報2354号に掲載されました。

判例時報の2月11日付2354号に拙稿「伊方原発最高裁判決の再評価 福島原発事故を繰り返さぬための裁判規範を求めて」が掲載されました。全体は14頁、3万字の長文ですが。その目次とはじめにと結論を再録しました。 脱原発弁護団全国連絡会が福島原発事故の後取り組んできた再稼働差し止めのための訴訟の中間総括です。大飯原発福島地裁判決、高浜原発大津地裁決定、伊方原発広島高裁決定など、住民勝訴の判断だけでなく、住民敗訴の判断についても、もれなく論及しました。そして、判断の分かれ目を明らかにし、今後の司法の課題を明らかにしようとしたものです。 全文については、本誌をお買い求めいただき、ご一読いただければ幸いです。 東京地裁と弁護士会館の地下の書店では平積みになっていますが、以下からも直接買うことができます。

http://hanreijiho.co.jp/wordpress/book/判例時報-no-2354/

**************

はじめに

 私は弁護士登録した1981年から36年間余、一貫して原子力に関する訴訟を住民側の立場で担当し続けてきた。3.11前に担当した主な訴訟としてはもんじゅ訴訟、六ヶ所村核燃料サイクル施設訴訟、浜岡原発訴訟などがある。また、福島の原発についても福島第2原発3号機の再循環ポンプ損傷事故後の運転再開差止株主訴訟、福島第1原発3号機についてのMOX燃料装荷差止訴訟、シュラウドなどの損傷隠し発覚時の刑事告発などを担当した。

 憲法は司法の独立だけでなく、76条3項において、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。政府が危険な原発の運転を認め、国会の多数を占める与党がこれをただすことができないとき、これを止めることができるのは、職権の独立を認められ、自らの良心だけにしたがって、政府とは異なる見解を示すことのできる裁判官を置いてほかにない。 明治憲法の下において、ファシズム政策の多くを司法も追認したといわざるを得ない。しかし、人民戦線事件、大本教事件、企画院事件などの治安維持法事件のいくつかについて、当時の勇気ある裁判官は無罪判決を下している。1942年の大政翼賛選挙の鹿児島二区での選挙について、大審院は政府による選挙干渉を認め、選挙のやり直しを命じている。違憲立法審査権の認められていなかった戦前においても、日本の裁判官は、政府の暴走をストップさせるため、命がけの努力を傾けてきたのである。日本国憲法は、裁判官に対して、政府の圧力に屈するなと励ましている。私は、民主主義国家である日本の司法が、独立した裁判官によって担われていることを堅く信じて、これまで原発訴訟を担当してきた。

 3月11日の東日本震災が発生し、福島第一原発の停電と非常用ディーゼル発電機の故障を伝えるニュースを聞いた時、長く私たちが恐れていた最悪の事態が発生したことを認識した。私たちは、このような事故が発生しうることを具体的に指摘し、司法の判断を求めてきた。しかし、以下に述べるもんじゅ控訴審、志賀2号炉一審の二つの判決を除いて日本の司法は原子力発電の安全性という問題に正面から向き合ってこなかった。司法は適切な判断ができなかったと言わざるを得ない。私は2011年秋に岩波新書『原発訴訟』を書いた。そして、全国の弁護士たちと協力して、今一度原発の再稼働に歯止めを掛けるための法廷での闘いに再び立ち上がった。日本の裁判官の独立をもう一度信じてみようと考えたのである。いま、私は、脱原発弁護団連絡会の共同代表として、全国の原発再稼働をめぐる多くの民事・行政裁判の代理人、東電役員の刑事事責任を問う裁判の告訴代理人・被害者参加代理人、白血病で労災認定された福島第一原発の原発労働者の労災民事責任を問う裁判、飯舘村住民の被害回復のためのADR申立代理人などを務めている。

 本稿は、拙著『原発訴訟』のいわば続編として、福島原発事故後6年半を経過した時点における原発訴訟に取り組んできた一弁護士の中間活動報告であり、原発と向き合う裁判官に対する提言でもある。福島原発事故後の主な判決・決定にはできるかぎり言及するように心がけた。

****************

第1 伊方原発最高裁判決をどのように評価するか 2

1 伊方原発訴訟とは 2

2 今後に活かすべき伊方判決の判示内容 2

3 伊方最高裁判決はチェルノブイリ事故後の社会情勢を反映した判断であった 3 4 福島原発事故と原子力基本法の改正によって原発に求められる安全性に関する社会通念は根本的に変化した 3

第2 もんじゅ高裁判決は伊方最高裁判決を活かしたものである 4

1 看過しがたい過誤と欠落を認めた川崎判決 4

2 伊方判決の枠組みを無視したもんじゅ最高裁判決 4

第3 原発の地震に対する安全性をめぐる3.11前の法廷論争 4

1 審査基準の不合理性を認めた井戸判決 4

2 浜岡原発訴訟静岡地裁判決 5

3 志賀2号高裁逆転判決 5

4 福島の悲劇と直結している柏崎1号最高裁判決の判断欠落 6

第4 3.11後の原発再稼働をめぐる訴訟の概観 6

第5 福井県の原発をめぐる法廷論争 7

1 2014年5月21日大飯原発福井地裁判決 7

2 高浜運転差止仮処分命令 7

3 福井地裁による差止決定の破棄 7

4 住民の主張を正面から認めた大津地裁山本決定 7

5 関西電力の準備書面を引き写した大阪高裁決定 8

第6 川内原発・玄海原発をめぐる論争 9

1 鹿児島地裁決定 9

2 火山に関する規制委員会の審査の過誤を認めつつ住民の請求を棄却した福岡高  裁宮崎支部決定 9

3 福岡高裁宮崎支部決定をどのようにして克服するか 11

4 玄海原発について 11

第7 伊方原発を包囲する松山・広島・大分・山口の仮処分の闘い 12

1 はじめに 12

2 広島地裁決定 12

3 松山地裁決定 13

4 火山噴火リスクを根拠に運転を差し止めた広島高裁決定 13

****************

第8 原発訴訟についての司法判断に関する提言 2016年9月から大間原発について函館地裁で証人尋問が開始され、原告と被告双方の申請証人の取調が2017年2月に終結し、2017年6月30日には結審され、2017年度内の判決が見込まれている(3月19日に判決日が指定された)。原発周辺の活断層の有無も争点となっているが、基準適合性の審査が未了であるため、規制委員会の審査基準が安全性を確保するために十分合理的なものであるかどうかが主要な争点となっており、判決内容が注目される。伊方原発をめぐる広島高裁における運転差止決定はついに高裁の壁を破った。我々は、勇気ある裁判官に市民の期待に応えて原発の稼働を止めるための事実と論理を提供することに成功しつつあるものと自負している。私が、裁判所に求めたいことを、以下に箇条書きにしてまとめておきたい。

①  福島原発事故のような悲劇をくり返さないことを望む多くの国民は、司法に対して積極的な姿勢を求めている。市民の7割が再稼働に反対していると言うことは、保守層まで含めて、良識ある市民は例外なく、原発に反対しているとみるべきである。裁判所は、過去において国策に屈し、正しい判断ができず、福島原発事故を回避できた機会を失した痛苦な経験をみずからの責任として自覚・反省しなければならない。近時の大阪高裁決定などは、この反省を忘れ去り、次なる重大事故を招き寄せる論理を含んでいる。

②  判断の枠組みにおいて重要なことは、最終的な安全性の立証の責任を被告(行政訴訟であれば国、民事訴訟であれば電力会社)に負わせることである。そして、求められる安全性の程度は、ゼロリスクを求めるものではないが、冒頭に述べたように福島原発事故を受けて改正された原子力基本法2条2項の趣旨を踏まえ、IAEAの諸基準など、確立された国際的な安全基準が求めている、10万年に一回以上の重大原発事故は避けなければならないという水準に置くべきである。

③  これまで裁判所は多くの司法判断において、「高度な専門的技術的判断」「社会通念」などと言い訳をしながら、国策に追随する判断を重ねてきた。しかし、原発にエネルギー源としての必要性・公共性がないことが明確となり、多くの国民の世論が脱原発を求めている今日、このような言い訳はやめなければならない。

④  今後、樋口、山本、野々上裁判長に続いて、裁判官が良心に従って原発の差し止め判決を出し続ければ、一時的には財界や政府から司法権への圧力が強まるかもしれない。しかし、市民は勇気ある裁判所・政府から独立した裁判官を必ず支えることを信頼して良心を貫いて欲しい。

⑤  日本は世界一の地震・火山大国であり、兵庫県南部地震を境に日本列島は火山と地震の活動期に突入したとみられる。しかも日本の原発は旧型で、本質的にはその安全性は改善されていない。このような状況で原発の再稼働を認めなかったいくつかの判決・決定は、まさに福島原発事故という悲劇を経験した司法の良識を示したと言える。市民の司法に対する信頼に応えるために、この良識に続く、勇気ある裁判所・裁判官が次々と現れることを心から期待する。

 最後に、本稿を閉じるに当たって、私は、全国の法廷で、原発の再稼働を止めるために文字通り手弁当で働いている、とりわけ年若い弁護士の仲間たちに心から感謝したい。弁護士を取り巻く厳しい経済環境の中で皆さんの献身的な努力なくして3.11後の原発訴訟は成り立たなかった。そして、この原稿は、皆さんとの真剣な討論によって書かれた共同作業の成果である。

ページトップへ戻る