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2018年6月5日

もんじゅ訴訟勝利的に取り下げへ!

もんじゅ訴訟勝利的に取り下げへ

                           報告 海渡 雄一

もんじゅ訴訟は勝利の内に取下へ

 もんじゅの廃炉が認可され、新・もんじゅ訴訟が5月7日第10回口頭弁論期日において、ついに勝利的に取り下げとなりました。

 この訴訟は、2015年12月25日に提起され、もんじゅの周辺250キロ圏内に居住する原告らが、原子力規制委員会に対して、もんじゅに係る原子炉設置許可処分の取り消しの義務付けを求めた裁判でした。本年3月28日、日本原子力研究開発機構の廃炉計画を認可しました。計画では、7月から燃料の取り出し作業に着手し、2022年度末までに取り出しを終えるとしています。その後2047年度まで約30年間をかけて廃炉を完了するというものです。  もっとも、機構の計画は、ここ最近の不祥事やずさんな取り組みなどから、絵に描いた餅に過ぎないのではないかという疑念が深まります。市民による監視は続けていかなければなりません。

 もんじゅの廃炉の工程に入ったことを受けて、もんじゅの34年間にわたる裁判闘争がついに勝利的に終了し、取り下げをしました。当日、弁護団を代表して海渡雄一が行った意見陳述を紹介します。

 

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                          2018年5月10日

訴訟取り下げに当たっての弁護団意見陳述

                        弁護団共同代表 海渡 雄一

はじめに

 日本原子力研究開発機構は、2017年12月6日原子力規制委員会にもんじゅ廃止措置計画を提出し、2018年2月9日には原子力施設保安規定の変更認可を申請、2月23日には廃止措置計画認可の補正を提出しました。そして原子力規制委員会は3月28日に廃炉措置計画を認可しました。原子力機構は7月から核燃料の取り出しを始め、2022年12月までに終えるとされています。ついに、もんじゅは廃炉の工程へと入ったといえます。

1 第一次もんじゅ訴訟をふりかえって

 思い返すと、新もんじゅ訴訟の中心である中嶌哲演さんらとともに、私たちが第一次もんじゅ訴訟の提起の検討を始めたのは1984年の秋のことでした。もんじゅ訴訟の提起を福井の皆さんに強く奨めたのは高木仁三郎先生でした。弁護団は東京と福井の二元構成となり、訴訟準備の中心は福井の小木曽美和子さん、原告団長は磯辺甚三、弁護団は福井泰郎団長、福武公子事務局長という布陣でした。

 もんじゅは、プルトニウムを燃料とし、高速増殖炉として核燃料サイクル政策の要に位置づけられていました。プルトニウムを燃やせば燃やすほど燃料が増殖し、すべてのエネルギー問題を解決する夢の原子炉であり、核燃料サイクルによって資源小国の日本が救われると喧伝されてきました。 この訴訟で、私たちは、プルトニウムの高い毒性、もんじゅ炉心の暴走事故の危険性、ナトリウムと蒸気系の熱交換系の危険性、高温技術における熱応力対策と耐震設計との両立の困難性、敦賀半島の断層などの安全問題を指摘し続けました。もんじゅ技術の本質的な危険性を明らかにしたのは小林圭二先生の功績でした。地震の危険性について生越忠先生、石橋克彦先生のお二人の専門家に助言をいただきました。

 1995年12月には二次系のナトリウム漏洩事故が発生し、事故原因の究明の過程でナトリウム溶融塩反応の見落としという重大問題が浮かび上がりました。久米三四郎先生に代表となっていただき、事故調査検討委員会を組織し、問題点を究明していきました。

2 川崎判決と最高裁判決 

 長い裁判の中で、私たちが心の底から喜ぶことのできたのは、2003年1月27日の川崎和夫裁判長による勝訴判決の時でした。提訴から17年にして、遂に勝ち取った原告完全勝訴判決でした。川崎裁判長はもんじゅの安全審査の過程でナトリウム漏れの際の溶融塩型腐食という反応を見落としていたことや蒸気発生器伝熱管損傷事故の際の高温ラプチャという現象を見落としていたこと、炉心の核暴走の危険性に対する評価の誤りなど安全審査の明白な過誤と見落としを指摘し、許可の無効を宣言しました。この判決は2005年5月最高裁によって覆されましたが、その論理は、ナトリウム漏洩時の対策不備は基本設計に関連しない、蒸気発生器の対策の不備は、看過されていたが事後的に対処が可能である、原子炉暴走につながる遷移過程の事象推移についての評価を欠くと解するのは相当でなく評価に不合理な点はないなどとしたものでした。

 政府は規制委員会の原子力機構失格宣言にもとづいて、2016年12月にもんじゅの廃炉を決めました。もし、このもんじゅ訴訟が闘われていなければ、そして川崎判決がなければ、もんじゅの危険性を証明する数々の文書は明らかにされることもなく、深く埋もれたままとなり、今日の廃炉は実現できず、もんじゅは破局的な事故を引き起こしていたかもしれません。

 今や、もんじゅの許可無効を宣言した川崎判決ともんじゅの救済を図ろうとした最高裁判決のどちらが正しい判決であったか、歴史の判定は明らかではないでしょうか。

3 もんじゅ廃炉の歴史的な意義

 1995年の事故以来停止していたもんじゅは、2010年5月6日から同年7月22日まで,「もんじゅ」のゼロ出力での炉心確認試験を実施し、再稼働が現実味を帯びてきました。しかし、同年8月26日,「もんじゅ」の炉内中継装置が原子炉容器内に落下する事故が発生し、装置が落下により変形して引き抜くことができなくなっている状態で、2011年3月に福島原発事故が発生しました。福島事故を契機に発足した原子力規制委員会は、もんじゅの安全管理の不備を厳しく指摘し、2016年12月21日関係閣僚会議でもんじゅの廃炉の方針が決定されました。

 この廃炉は、日本原子力研究開発機構の不祥事による自滅のようにも見えますし、規制委員会が主導したようにも見えます。しかし、長期にわたってもんじゅに運転再開ができなかったこと自体が、ナトリウム漏洩事故を契機として、もんじゅのさまざまな安全上の問題点が認識されたためでした。そして、規制委員会が、軽水炉の規制審査においては、電力会社の圧力に屈し妥協を繰り返したものの、高速増殖炉技術についてはその困難性を自覚し、その規制を強化しました。もんじゅ技術の特有の危険性を指摘し続けた我々の闘いは、もんじゅを廃炉に追い込むうえで大きな力となったと評価することが許されるでしょう。

4 安全に、確実に廃炉を進めることを強く求める

 もんじゅの建設費と維持管理費,燃料費は1兆3300億円に達したとされます。廃炉が政府によって決定され、3月28日には廃炉措置計画の認可がなされました。しかし、廃炉作業と並行して、国の高速増殖炉開発体制は不透明度を増し,常陽再開の野望が語られ、もんじゅ周辺に実験炉の影がちらつき、フランス・アストリッド炉に巨額の支援をする計画とされています。核燃料サイクルの夢は実現せず、世界は再生可能エネルギーに向かいつつある中で。日本政府がなおも核燃料サイクルにこだわり続けることには何の根拠も示されていません。私たちは、今後もこのようなもんじゅの亡霊との闘いを続けなければなりません。

 廃炉計画が認可されたとはいえ、炉心にはプルトニウム燃料が装荷されたままであり、ナトリウムも抜き取られていません。残存するリスクを適切に管理して、もんじゅを本当に廃炉とするための作業はこれから始まるのです。

 とりわけ、燃料の取り出しと放射化したナトリウムの安全な処分は困難な課題です。一次系のナトリウムの抜き出し方法は、廃炉計画にも具体的に示されていません。大洗工学センターの事故は、機構の組織にモラルハザードが起きていることを露呈させました。この組織の手によって、本当に安全に廃炉作業が遂行できるのか、大いに疑問です。私たちは、これまで以上に市民監視を強め、廃炉作業の安全な遂行を見守りたいと考えています。

5 核燃料サイクル・プルトニウム利用の停止と全ての原発の廃炉を

 もんじゅの廃炉の次の課題は、核燃料サイクルのもう一つの要である再処理を停止させることです。再処理施設は大幅に完成時期が遅れており、運転前に老朽化が進み、もんじゅの末期と似通った状況にあります。核兵器開発に直結するプルトニウム利用を最終的に断念させることが、核燃料サイクルとの闘いのゴールです。その意味で、プルサーマルと、フルモックス炉である大間の建設を停止させることも重要な課題です。

 もんじゅの廃炉措置計画が認可されたことにより、我々は34年を要したもんじゅ裁判闘争に勝利したものと評価し、この訴訟を取り下げることとします。しかし、今回の廃炉は終着点ではなく、私たちは、もんじゅの廃炉を核燃料サイクル・原発全体を止めていくための闘いの出発点としなければならないと自覚しています。核燃料サイクル・プルトニウム利用の停止と全ての原発の廃炉を求め、弁護団の訴訟取下にあたっての意見とします。

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