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2020年1月15日

なぜ、日本は世界中で二か国としか犯罪人引き渡し条約が締結できないのか?(弁護士海渡)

なぜ、日本は世界中で二か国としか犯罪人引き渡し条約が締結できないのか?

1 犯罪人引き渡し条約の締結状況
 カルロス・ゴーン氏がレバノンに逃れたことから、ゴーン事件に関する報道の中で、日本がなぜ多くの国々と犯罪人引き渡し条約を締結することができないのかに注目が集まっています。
 2016年現在、日本は2か国、フランスは96か国、イギリスは115か国、アメリカは69か国、韓国は25か国と犯罪人引渡し条約を締結しています。
 2016年現在、日本が犯罪人引渡し条約を結んでいる国はアメリカ(日米犯罪人引渡し条約、1980年発効)と韓国(日韓犯罪人引渡し条約、2002年発効)の2カ国しかありません。

2 逃亡犯罪人引渡法の手続
 これらの条約に基づく引き渡し請求がなされた際の日本国内の手続きは逃亡犯罪人引渡法で定められています。条約の相手国から国外逃亡犯の引き渡しを求める請求があると、外務省から東京高等検察庁を経て、東京高等裁判所で審理されることになります。
 東京高等裁判所における審査の手続は二ケ月以内に決定をすることとなっています。なお、審査についての関係証人の尋問、鑑定、通訳、翻訳等の手続などは、刑事訴訟法の規定がそのまま準用されることとなります。
 そして、対象者が日本国籍の場合や政治犯の場合などの例外的な場合を除き、原則引き渡すことになっています。

3 日本の条約締結数が他の国々と比べて極端に少ないのはなぜか
 日本の条約締結数が他の国々と比べても極端に少ないことの理由が問題となりますが、この理由としては、日本が死刑存置国であることが大きく影響しているようです。
 犯罪人引渡のための地域的な条約であるヨーロッパ犯罪人引き渡し条約にヨーロッパだけでなく、韓国や南アは加入しているのに、日本は加入できていません。韓国は事実上の執行停止国、南アは廃止国です。日本はヨーロッパ評議会のオブザーバー加盟国なのに、この条約に加盟できない理由は死刑以外には考えられません。

4 犯罪人引渡と基本的人権
 犯罪人引渡の問題について考えるには、罪を犯した者の処罰を確保するという問題と、犯罪人の引き渡しによって基本的人権の侵害を引き起こしてはならないという問題とを総合的に考慮しなければなりません。
 カナダが死刑存置国である米国に対し、犯罪人を引渡したことが自由権規約に反するのではないかという事件が、自由権規約委員会の個人通報事件として多く取り扱われてきた。
初期の事件では、キンドラー事件、ヌー事件(Ng v. Canada, Communication No. 469/1991,   CCPR/C/49/D/469/1991, 5 November 1993.)などにおいて、第7条違反、すなわち米国での死刑の執行方法が非人道的な取扱いや刑罰にあたるかが検討されてきました。
 しかし、ジャッジ事件(Judgev.Canada,Communication No. 829/1998, CCPR/C/78/D/829/1998, 20 October 2003)では、死刑廃止国が、死刑制度存置国に対して、死刑が確定している犯罪人を引渡すこと自体が、真正面から生命に対する権利を保障した第6条1項そのものに違反するという判断にたどり着いています。
 最近の自由権規約委員会では、死刑制度だけでなく仮釈放の可能性のない終身刑を課される可能性があるということが規約7条に反する可能性があることを示唆するようになっています。
 ヴァイス対オーストリア第二事件について委員会は、「ある人物が、あらゆる実質的目的のために、釈放の可能性のない終身刑が課される国に送還されることは、自由権規約第10条3 項21に述べられている刑罰の目的に照らして、第7条に関する問題を生じさ せるかもしれないということを認識する一方で、当事国が通報者を米国に引渡すとした決定は、主張されている権利侵害が発生した時点の法的発展に照らして検討されなければならないと本委員会は考える。これに関して、本事 件の当事者双方から、通報手続において委員会に提出された情報からは、当事国は、オーストリアの上級地方裁判所が、当時の事実状況と適用可能な法に照らして慎重に行った審査の結論に基づいて、通報者の米国への引渡を決定したと考えることができる。したがって、本委員会は、通報者の引渡によって、当事国が規約第7条の権利を侵害したとは言えない」と判断しています(Weiss v. Austria, Communication No. 1821/2008, CCPR/C/106/D/1821/2008, 24 October 2012.  前田直子「犯罪人引渡における人権基準の発展 ―ヴァイス対オーストリア事件(第2)(自由権規約委員会、2012年10月24日)」京女法学第4号より翻訳孫引き)。

5 死刑制度の廃止を含む刑罰制度の改革が今後の大きな課題になっている
 このように、死刑や仮釈放の可能性のない終身刑が存在することが障害となり、犯罪人の引渡条約が締結できず、犯罪人の引き渡しが認められないという現象が生じていることがわかります。
 日本の死刑を含む刑罰制度が犯罪人引渡の障害となり、条約締結わずか二か国という状況につながっていることはあきらかであると思われますが、このことを指摘した際に考えられる反論としては、日本と同じく死刑を存置している中国が、多数の国と犯罪人引渡のための条約を締結していることをあげる方がいるかもしれません。
 中国は、極めて活発に犯罪人引渡の合意を形成しようとして、2年位前の報道では条約締結は約30か国に達するとされています。まだ、締結には至っていませんが、日本との間でも条約の締結交渉が重ねられてきました。香港の大規模デモも、香港が中国に犯罪者を送還するための「逃亡犯条例」の制定がきっかけとなっていました。これらは、中国政府の必死の外交努力によるものであり、それでも締結されたのは約30か国にとどまっているわけで、死刑や非人道的な刑罰の存在が犯罪人の引渡条約が締結できないことの支障となっているという見立ては誤っていないと考えます。
 犯罪人の引き渡し条約の締結を促進するためには、死刑制度を廃止し、人権が保障され、罪を犯した人々の社会復帰を容易にするための制度改革を進めることが必要不可欠です。

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