【2024.9.26 寅子さんが横浜家庭裁判所所長に就任】
三淵さんは、本当に女性裁判官初の裁判所所長でした。
寅子を祝うため、女子部の懐かしい面々、同時に法律家になった仲間たちが「笹竹」に集まります。
笹竹には、定年を迎え、悠々自適の日々を送っているはずの桂場が、和服姿で顔に桜の花びらをつけて登場。
あんこもちを食べる桂場に寅子が話しかける。
寅子「お元気そうですね、桂場さん。お会いしたら言いたいことがあったんです。私たちずっと、法とは何かを、話してきましたよね」
桂場「私たちじゃない。君がな」
寅子「今、私は、法とは、船のようなものなのかなと思っています」
桂場「続けて」
寅子「人が人らしくあるための、尊厳や権利を運ぶ船。社会という激流にのみ込まれないための船。船の使い方は、乗り手次第。人らしさを失い、沈むことも、誰かを沈めることも、間違うこともある。人生という船旅を、快適に幸せに終えるために、乗り手の私たちは船を改造したり、修繕したりしながら進む。まあ、明日にはまた違うことを言っているかもしれませんが。生い立ちや、信念や、格好、男か女か、それ以外か。すべての人が、快適でいられる船にするよう、法を司る者として、不断の努力を、続けていきます」
桂場「私は今でも、ご婦人が法律を学ぶことも職にすることも反対だ」
懲りないで、自分は今も女性が法律家になることには反対だと述べる桂場。
実は、こういう男性裁判官が、私たちが司法修習生となったころ70年代後半にも、教官の中にたくさんいて、女性司法修習生に対して、「男が命をかける司法の世界に女性が入ってくることは認めない。修習が終わっても、仕事はしないで、家庭に入りなさい」と説教する事件が起き、司法修習生による抗議行動が展開されたのを思い出しました。
明日はどんな波乱の最終回が待っているのか。
すくなくとも、桂場が「いい人」になって、という結末は避けられそうです。
このころ、石田は元号法制化制定国民会議(のちの日本会議に発展する組織)の代表になり、福田総理大臣に陳情に行ったりしていたのです。
明日は最終回、石田和人裁判官の功罪についてまとめてみようと思っています。