【2024.9.25 尊属殺人重罰規定最高裁判決】
桂場長官が大法廷で尊属殺人重罰規定は憲法14条違反・無効と判決
昭和48年4月4日に最高裁は、石田和人長官の下で、刑法第200条の尊属殺人を死刑または無期の重罰に処している規定は、著しく重きに失し、憲法第14条に反し無効とする判決を言い渡しました。
この判決は最高裁判所が法律を違憲であると判断した最初の判決でした。
この判決を勝ち取ったのは、実際には、宇都宮の大貫大八、大貫正一両弁護士の親子二代にわたる、無償の弁護活動の成果でした。
弁護士ドットコムニュースが、大貫正一弁護士に対してロングインビューを行っています。ぜひ、ご一読ください。
https://www.bengo4.com/times/articles/136/
また、この弁論の全文もウェブで読むことができます。
https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/17-3.html…
「虎に翼」でよねさんが読みあげた弁論は、実際に行われた、この弁論をもとに造られたことが良くわかります。
多数意見は、刑が重すぎるとした
多数意見は、重罰規定自体は憲法に違反しないと判断しました。憲法14条1項では、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定されていますが、憲法14条の平等の要請は、合理的な根拠に基づかない限り、差別的な取り扱いを禁止する趣旨です。刑法200条では、『「自己または配偶者」の直系尊属を殺した者について、無期懲役または死刑の刑に処される』とし、通常の殺人罪の刑罰規定よりも重く処罰し、どんな減刑事由があっても、実刑は避けられない刑が定められていました。
この刑法200条の立法目的は、尊属殺は通常殺と比べて、一般に高度の社会的道徳的非難に値するものとして、これを厳重に処罰して、特に強く禁圧しようとすることにあり、それ自体は不合理とは言えないと多数意見は述べています。つまり、通常殺人と比べて重罰にすること自体は違憲ではないとしたのです。
しかし、刑法200条は、憲法14条1項に違反すると判断しました。その理由は、その刑を死刑または無期懲役のみに限っている点が、加重の程度が極端であり、どんなに減刑しても執行猶予刑を言い渡すことができない点が、著しく不合理な差別的取扱いをするものであると判断したのです。したがって、刑法200条は合理的な差別とはいえず、憲法14条に反し、違憲であると判断したのである。
多数意見は、石田の多数派工作の産物
いかにも折衷的な判断であったといえます。おそらく、この判断は、石田長官が思いついて、仲間の裁判官や検察官を説き伏せたものでしょう。多数意見は、石田和外(長官) 、岩田誠(裁判官)、村上朝一(裁判官)、関根小郷(裁判官)、藤林益三(弁護士)、岡原昌男(検察官)、岸盛一(裁判官)、天野武一(検察官)の8人がこれを構成しました。この顔ぶれをみると裁判官、検察官出身者が多数意見の核をなしたこと、弁護士の藤林が多数意見にくみして多数を占めたことがわかります。
家制度の死守を唱えた外交官出身の下田判事
これに対して、この規定が合憲と判断した裁判官も1名いました。下田武三裁判官です。下田武三判事の反対意見について説明してみましょう。
下田氏はアメリカ大使、外務事務次官を務めた外交官出身の最高裁判事でした。この反対意見も、大変長いものですが、簡単に要約すると以下のとおりとなります。
・わたくしは、憲法一四条一項の規定する法の下における平等の原則を生んだ歴史的背景にかんがみ、そもそも尊属・卑属のごとき親族的の身分関係は、同条にいう社会的身分には該当しないと考える。
・法定刑をいかに定めるかは、本来、立法府の裁量に属する事項であり、法定刑の不均衡があつたとしても、それは立法政策当否の問題である。
・尊属の殺害は、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は、高度の社会的道義的非難に値するものであつて、刑法二〇〇条は、かかる所為は通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もって強くこれを禁圧するため、その法定刑がとくに厳しいことはむしろ理の当然である。
・加重の程度が極端に過ぎるとどうかは、要するに価値判断にかかるものであり、抽象的にこれを論ずることは、恣意的である。
・被告人のおかれた悲惨な境遇を深く憐れむ点において、わたくしもまた決して人後に落ちるものではない。しかしながら、情状の酌量は法律の許容する範囲内で行なうことが裁判官の職責であり、その範囲内でいかに工夫をこらしてもなお妥当な結果に導きえない場合が生じたとすれば、これに対しては、現行法制のもとにおいては、恩赦、仮釈放等、行政当局の適切な措置にまつほかはない。
まことに、下田意見は明治民法の家制度をそのまま引きずるような判断であったといえます。しかし、この批判は、尊属殺重罰規定そのものを違憲と判断しなかった多数意見の弱点を適切に突いているとも評価することができるように思います。
尊属殺重罰規定そのものが憲法違反であるとした田中二郎ら6名の少数意見
これに対して、6人の最高裁判事が、尊属殺重罰規定そのものが憲法違反であると判断しました。つまり、弁護側が主張したことをそのまま容れた裁判官が六名はいたのです。
田中二郎(東大教授) 下村三郎(東京高裁長官) 色川幸太郎(弁護士) 大隅健一郎(京大教授) 小川信雄(弁護士) 坂本吉勝(弁護士)の6人の判事が、判決中で、それぞれの違憲論を展開しています。東京高裁長官まで務めた下村判事が、規定自体の違憲論にくみしていることが注目されます。
ここでは、最もまとまっていると思われる田中二郎判事の違憲論を紹介することにしましょう(この意見には小川信雄、坂本吉勝のふたりの弁護士出身の判事が同調しており、判事3名の意見といえます。)。なお、田中二郎氏は、一定の年齢以上の司法試験の勉強をしたことのある学生なら、必ず行政法学の泰斗として、その著書を読んだことがある、著名な行政法学者です。私も、田中二郎『行政法』と、これを批判した塩野宏『行政法』を、同時に学びました。東大の官優位の行政法学の権威が、明快な違憲論を展開していることは、とても興味深いことです。この意見も異常に長いので、要約して紹介することにしましょう。
・私は、普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺人なるがゆえに差別的取扱いを認めること自体が、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に違反するものと解すべきであると考える。
・私の考え方からすれば、本件には直接の関係はないが、尊属殺人に関する刑法二〇〇条の規定のみならず、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項、尊属遺棄に関する刑法二一八条二項および尊属の逮捕監禁に関する刑法二二〇条二項の各規定も、被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別的取扱いを認めたものとして、いずれも違憲無効の規定と解すべきである。
・日本国憲法一三条の冒頭に、「すべて国民は、個人として尊重される」べきことを規定しているが、これは、個人の尊厳を尊重することをもつて基本とし、すべての個人について人格価値の平等を保障することが民主主義の根本理念であり、民主主義のよって立つ基礎であるという基本的な考え方を示したものであつて、同一四条一項に、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定しているのも、右の基本的な考え方に立ち、これと同一の趣旨を示したものと解すべきである。
・右の条項には、人種、信条、性別などが列記されているが、多数意見も認めているように、これらの列記は、単にその主要なものの例示的列記にすぎず、したがつて、これらの列記事項に直接該当するか否かにかかわらず、個人の尊厳と人格価値の平等の尊重・保障という民主主義の根本理念に照らして不合理とみられる差別的取扱いは、すべて右条項の趣旨に違反するものとして、その効力を否定すべきものと考える。
・近代国家の憲法がひとしく右の意味での法の下の平等を尊重・確保すべきものとしたのは、封建時代の権威と隷従の関係を打破し、人間の個人としての尊厳と平等を回復し、個人がそれぞれ個人の尊厳の自覚のもとに平等の立場において相協力して、平和な社会・国家を形成すべきことを期待したものにほかならない。日本国憲法の精神もここにあるものと解すべきであろう。
・もつとも、私も、一切の差別的取扱いが絶対に許されないわけではなく、合理的な理由に基づくものとして許容されることがある。
・「合理的な差別」と「合理的でない差別」とを区別すべき基準は、憲法の基調をなす民主主義の根本理念に鑑み、個人の尊厳と人格価値の平等を尊重すべきものとする憲法の根本精神に照らし、これと矛盾抵触しない限度での差別的取扱いのみが許容されるものと考える。
・刑法二〇〇条の尊属殺人に関する規定が設けられるに至った思想的背景には、封建時代の尊属殺人重罰の思想があるものと解されるのみならず、同条が卑属たる本人のほか、配偶者の尊属殺人をも同列に規定している点からみても、同条は、わが国において旧憲法時代に特に重視されたいわゆる「家族制度」との深い関連をもつている。
・日本国憲法は、封建制度の遺制を排除し、家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を確立することを根本の建前とし(憲法二四条参照)、この見地に立って、民法の改正により、「家」、「戸 主」、「家督相続」等の制度を廃止するなど、憲法の趣旨を体して所要の改正を加えた。
・最近のわが国の改正刑法草案がこの種の規定を設けていないのも、この流れにそったものにほかならない。
・私も、直系尊属と卑属とが自然的情愛と親密の情によって結ばれ、子が親を尊敬 し尊重することが、子として当然守るべき基本的道徳であることを決して否定するものではなく、このような人情の自然に基づく心情の発露としての自然的・人間的情愛(それは、多数意見のいうような「受けた恩義」に対する「報償」といつたものではない。)が親子を結ぶ絆としていよいよ強められることを強く期待するものであるが、それは、まさしく、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立って、 個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であって、決して、法律をもつて強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによって遵守させようとしたりすべきものではない。
このように見てくると、大法廷でよねさんが弁論したことをそのまま判決の内容として示したのは、この田中判事らの、尊属殺人を厳罰の対象とする規定そのものが違憲という意見であったことがわかります。
法改正には22年を要した、判決後の経過にみる、多数意見の不徹底性の罪
石田長官の主導した折衷的な意見は、法改正を遅らせました。
本件以降、法務省は刑法200条が違憲との確定判決を受けて、尊属殺でも一般の殺人罪である刑法199条を適用するよう通達を出し、親族間の殺人事件である尊属殺人罪適用対象の事案についても殺人罪が運用されるようにはなりました。
最高裁判決確定後、既に尊属殺人罪で、刑務所において受刑中の者に対しては、個別恩赦により減刑がなされたといいます。
ところが、尊属殺人の規定そのものは、その後も、刑法典に残ったのです。しかし、1973年以降は適用されずに死文と化し、1995年に刑法がカタカナ表記からひらがなに改正(平成7年法律第91号)された際に、傷害罪等他の尊属加重刑罰と共に、同条は削除されたのです。つまり、結果的には、田中二郎判事らの主張した法改正が22年後に実現したことになります。
最高裁判決少数意見の重要性
私は、最高裁における少数意見の重要性を、指摘してきました。理論的な整合性があり、時代を先取りした少数意見は、いずれは多数意見にとって代わり、社会を動かすことがあるのです。ここで、私が念頭に置いていることは、もちろん、福島原発事故について国の責任を否定した、2022年6月17日判決に付された、三浦判事の少数意見のことを念頭に置いています。夫婦別姓の違憲訴訟、そして、ドラマでも、轟たちが切望していた同性婚訴訟でも違憲の判断が多数となる日が一日も早いことを期待したいと思います。