【2024.9.20 尊属殺重罰規定の合憲性】
尊属殺重罰規定の合憲性をめぐって、航一と桂場が、真正面から対決へ
航一が斧ヶ岳美位子の事件についてまとめた分厚い調査官報告を最高裁長官桂場等一郎=石田和外に提出する。「昭和25年の、あの判例を変更するときです」と迫る。桂場は「受理できない」「時期尚早」と突っぱねる。
いったんは、部屋を後にしようとした航一は振り返って長官席にもどり、長官席に報告書をたたきつけ、「時期尚早とはどういうことか」「人権蹂躙を放置しておいて、何が司法の独立ですか」と詰め寄る。「司法の判断には冷静な判断ができる時を選ばなければならないのだ」と説く桂場との間で、激しい言い争いとなる。航一は興奮のあまり、鼻血を流し、そのまま倒れこんでしまう。
長官室に出入りを禁止されていた寅子は、急を聞いて駆け付け、桂場に膝枕されている航一を見て驚く。
寅子のことば「桂場さんは若き判事たちに取り返しのつかない大きな傷を残しました。私は、彼らが許さず恨む権利があると思う」「私が邪魔で面倒で距離を置きたくても、司法の独立のために共に最後まで戦い続けるしかないんですよ」
桂場は「ガキのような青臭いことを…」と述べながら顔は笑みを取り戻している。
寅子「実は私、一周まわって、心が折れる前の、法律を知った若い頃の本当の自分に戻ったようなんです」と満面の笑顔で語り掛ける。
航一の「なんだか、妬けるな」という言葉は、桂場と寅子の絆が戻りつつあることを示している。航一が受け取りを拒まれた調査官報告書を手に退室しようとすると、桂場は、(報告書を)「置いていけ」と命ずる。
報告書を長官室で読み始める桂場。昭和47(1972)年12月、美位子の事件は正式に最高裁に受理され、15人の裁判官による大法廷が開かれることになった。
最高裁の仕組みを少し説明しますね。すべての事件は小法廷に配点されます。しかし、法令の違憲性を判断するには、大法廷を開かなければなりません。ドラマでは主任調査官である航一が、長官に、この事件の大法廷回付を直接求めたことになっていますが、こういう相談もあったかもしれませんが、公的には、おそらく小法廷に違憲判断をすべきだという調査官意見をあげて、それが多数を占めたので、担当小法廷が大法廷への回付を、長官に求めることになったのではないかと思います。こんな経過をドラマで描いても意味がありませんから、シナリオに異議があるわけではありませんが、念のため記しておきます。
この違憲判決が出された1973年は、公務員の労働基本権について全逓中郵判決から積み上げられてきた、基本権尊重の判断を、過去に時計の針を押し戻すような全農林警職法判決が出された年でした。石田長官のもとで、なぜ、この二つの判断が同時に出されることになったのか、私たち、司法に身を置く者たちにも、的確な説明ができない問題でした。このドラマの最終盤で、全農林警職法判決が描かれるかどうかはわかりませんが、桂場さんがいい人に戻ったという、ドラマ的結論には回収しないでほしいですね。その意味で、寅子さんの「桂場さんは若き判事たちに取り返しのつかない大きな傷を残しました。私は、彼らが許さず恨む権利があると思う」という言葉の重みをかみしめたいところです。