【2024.8.2 総力戦研究所について】
今朝の虎に翼、驚きましたね。航一さんが総力戦研究所に勤めていたという設定がありました。調べてみると、ドラマで寅ちゃんの夫になるはずの航一さん=三淵乾太郎さんが模擬内閣の法制局長官と司法大臣を兼務で務めていた事実があるようですね。このドラマは、本当にたくさんのことを教えてくれますね。
私は、秘密保護法に反対する集会で「戦争は国の秘密から生まれる」と話してきましたが、この図上演習で日本が敗北必至とされたこともまた、国の行方を左右するような極めて重要な事実でありながら、国家秘密とされ、市民に知らされず、国の針路を誤った典型的な例の一つと言ってよいでしょう。
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以下、Wikipediaからの引用です。
第一期生の入所から3か月余りが経過した1941年7月12日。2代目所長飯村穣(陸軍中将)は研究生に対し、日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)計画を発表。同日、研究生たちによる演習用の青国(日本)模擬内閣も組織された。
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。
この机上演習の研究結果と講評は8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において時の首相近衛文麿や陸相東條英機以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。
研究会閉会に当たって東條は、参列者の意見として以下のように述べたという。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。」(表記は現代式に改め)
対米英開戦(真珠湾攻撃、マレー作戦)3ヶ月前のことであった。
模擬内閣 閣僚名簿
(1941年7月12日組閣)
内閣総理大臣 – 窪田角一(産業組合中央金庫参事・調査課長)
内閣書記官長 – 岡部史郎(衆議院速記課長、のち国会図書館長)
法制局長官(兼) – 三淵乾太郎(東京民事地方裁判所判事)
外務大臣 – 千葉晧(外務省東亜局)
外務次官(兼) – 林馨(在上海日本大使館三等書記官)
内務大臣 – 吉岡恵一(内務省地方局)
警視総監 – 福田冽(内務省計画局)
大蔵大臣 – 今泉兼寛(大蔵省主税局)
陸軍大臣 – 白井正辰(陸軍省・陸軍大尉)
陸軍次官 – 岡村峻(陸軍省・陸軍主計少佐)
海軍大臣 – 志村正(海軍省・海軍少佐)
海軍次官 – 武市義雄(海軍省・海軍機関少佐)
司法大臣 – 三淵乾太郎
文部大臣 – 丁子尚(文部省宗教局宗教課)
文部次官 – 倉沢剛(東京女子高等師範学校教諭)
農林大臣 – 清井正(農林省官房文書課)
商工大臣 – 野見山勉[3](商工省総務局)
逓信大臣 – 森巌夫(逓信省官房総務課)
鉄道大臣 – 芥川治(鉄道省運輸局)
拓務大臣 – 石井喬(拓務省拓南局)
厚生大臣 – 三川克巳(厚生省職業局)
企画院総裁 – 玉置敬三(商工省物価局第二部化学課長、のちに通産事務次官、東京芝浦電気会長)
企画院次長または部長 – 中西久夫(東京府庁、内務官僚)、酒井俊彦(大蔵省理財局)、千葉幸雄(日本製鐵総務部福利課)、保科礼一(三菱鉱業労務部)、前田勝二(日本郵船企画課書記)、矢野外生(農林省官房文書課)
情報局総裁 – 秋葉武雄(同盟通信社編輯局東亜部)
次長または部長 – 林馨、川口正次郎(内務省警保局)
対満事務局次長 – 宮沢次郎(満州国総務庁参事、のちトッパン・ムーア会長)
興亜院総務長官 – 成田乾一(済南特務機関、のち日放サービス社長)
朝鮮総督 – 日笠博雄(朝鮮総督府殖産局)
日本銀行総裁 – 佐々木直(日本銀行資金調整局書記、のち第22代日本銀行総裁[4])
大政翼賛会副総裁 – 原種行(東京高等学校教授、のち岡山大学教授)